無題

世間では胎児は人間の扱いを受けません。
戸籍にも残らないし、医療機関の対応によっては産んだ後に会うこともできないようです。
周囲の人間も、「まだ若いんだから、次がんばって」なんて言い方をします。
育ててあげるどころか、きちんと産んであげることもできなかったのに、その子の事を記憶することも認められないかのようです。




子供を生きて産んであげられない、とわかってから、それでも何かしてあげられることがないかと思って考えたのが、「写真を撮る」ことと、「名前を付ける」ことでした。
僕たち夫婦にとって、子供はまぎれもない人間です。
僕らが人間として接することが、子供に対する唯一できること。
不安と悲しみと混乱でよくまわらない頭で、そんなことを考えました。


写真はいま、リビングに飾ってあります。
仏壇も神棚もない我が家のリビングの片隅に、僕とお腹の大きな奥さんの写真。
二人ともなんだか疲れた顔をして、でもなんとか笑顔で写っています。
たった一枚の家族写真・・・。
わりと殺伐とした部屋の中で、写真のまわりだけは、絶えず季節の花に囲まれています。


今年、札幌はいつになく雪が少ない冬でした。
それでも時折ちらちらと降りてくる雪は、とてもきれいで。
もし女の子だったら、「美雪」(みゆき)という名前にしよう、と思いました。
男の子の名前は、入院当日までなかなか浮かびませんでした。
奥さんが入院した日、ちょうど陣痛が始まった頃、雪が降りました。
僕は直接見ていませんが、病室で待っていた奥さんのお父さんが教えてくれました。
季節はずれの吹雪で、目の前が真っ白になるくらい降って、30分くらいで止んでしまったそうです。
出産後、奥さんと「女の子だって教えてくれたのかなぁ」と話しました。
産まれた子は、身長15.8cm、体重100g。結局男の子か女の子かわかりませんでした。
奥さんと話し合って、考えていたとおり「美雪」と名づけました。
もし男の子だったら、文句は僕たちがこの世を去る時に聞くことにしましょう。


実は、先ほどの家族写真の裏には、何枚か子供の写真もあります。
入院中に撮ったもので、ガーゼの服を着ています。
お棺代わりに、友人が結婚祝いにくれたワインの木箱に入っている写真です。
奥さんが抱っこしている写真もあります。


お世話になった市立札幌病院産科の皆さんは僕たちをとても気遣ってくださいました。
へその緒もいただきましたし、足形も取っていただきました。
生まれた新生児につける名札も作っていただきました。
生まれた子供も抱かせてもらいましたし、それどころか、埋葬の前日には連れて帰って、家族で過ごさせていただきました。
僕たち夫婦がいま、なんとか前向きでいられるのも、産科の先生や助産士さんが子供を人間として扱ってくださったからだと思っています。
本当に、感謝しています。
このサイトをご覧になることがあるかどうかわかりませんが、お礼を言わせていただきます。
ありがとうございました。




最後に。
もし身近に似たような経験をした人がいて、どう接してよいのかわからない人へ。
その人に伝えてあげてください。


思い切り泣いても良いこと。
忘れる必要なんかないこと。
小さくても、産まれた子はまぎれもない人間であること。
抱きしめてあげることはできなくても、思い出してあげることはできること。
そして。
産まれた子は、両親が自分の分までちゃんと生きることを望んでいること。
いつの日が天に召される時、お互い笑顔で再会できるように、と。