努力と我慢

最近、思う。
幸せな人生を送るには、努力が必要なんだ、と。
さらに、思う。
何かを我慢するってことは、努力してるのとは別なんじゃないか、と。
少なくとも、自分の人生を幸せにするためには貢献しないんじゃないか。


努力も我慢も、どちらも心と身体に負担がかかる。
努力する人も、我慢する人も、がんばっている人なんだと思う。
違いは何か。
努力は何かを得るためのがんばりであり、我慢は何かを失わないためのがんばりなんじゃないか。


努力をすると、いやでも自分以外の何かとの接点ができる。
勉強するには本を読んだりウェブで調べたりしなきゃいけない。
健康を維持しようとしたら運動をしなきゃいけない。
いずれにせよ、そこには自分と外界との間でエネルギーのやりとりがある。
窓が開いて、風が出入りしている。
努力する前の自分と努力した後の自分は、わずかかもしれないけど、別の人間になっている。
対して、我慢は自分の中で閉じている。
我慢しているかしていないか、他の人にはわからない。
いや、わかってしまうんだけど、それはきっと我慢が下手だからで、本当に我慢している人というのは外からじゃわからない。
窓はぴったり閉じている。
我慢する前と我慢した後で、何も変化はない。


幸せって何だろう、と考えると、十人十色で答えは確定しないだろう。
でも、いまより幸せになりたい、と思うなら、我慢したところで無駄だ。
だって、我慢する前と我慢した後で、自分は変わらないんだもの。
良くて、いまと同じ状態。それが、我慢の結果。


もちろん、努力と我慢、どちらか片方だけでは人生立ち行かないだろう。
努力も、我慢も、どちらも必要だし、努力なのか我慢なのか分別できない場合も多い(ダイエットとか)。
それでも、がんばっている割に報われない人を見ていると、努力よりも我慢の割合が高いなぁ、と思う。
「がんばっているのに、報われない」と思っている人は、自分の「がんばり」の中身を見直してみた方が良いかもしれない。


あなたのそのがんばり、努力ですか、我慢ですか?